3.食の文化観光と植物資源の活用をめざして 植物と人間との関わりは人類の起源にまで遡るものです。古来、人々は衣・食・住のすべての生活の場で様々に植物を活用してきました。しかし、近代化とともに人工物が生活の場にあふれるようになり、「住」と「衣」については植物への依存は徐々に薄れてきました。「食」については依然として植物が人類の主食の役割を担っていますが、実はそのほとんどは品種改良を施され半ば工業的に栽培されたものであり、本来多様な植物種の中でも意外に限られた食材しか人々は口にしなくなってきています。すなわち現代人は、衣・食・住について、植物の多様性という恩恵から遠ざかりつつあるといえます。 一方、植物は医薬品として人類の歴史に大きく貢献してきました。今日市販されている医薬品やサプリメントの多くは、その有効成分が植物から取り出されたものなのです。こうした効能を持った植物は古くから世界各地で伝統的な民間医療の中で使われてきました。近代になってから、プラントハンターと呼ばれる人たちが世界各地の伝承医療とその利用植物を訪ね歩き、薬効のある植物を見出し、その有効成分を分析同定し、それを動物実験や臨床試験などを経て製品化してきたのが医薬品の歴史です。 しかし、地球規模での開発が進み森林面積が激減するとともに、植物種の多様性はしだいに失われつつあります。もしかしたら未だ調査の及んでいない地域の植物の中に未発見のガンやエイズの特効薬があるのかもしれませんが、それらは種の絶滅とともに永遠に失われてしまう可能性を否定できません。未来の人類のために、今の私たちは出来る限り種の多様性を保全し、新たな発見が行われる余地を残して行かなければならないのです。 救荒植物とは天災、飢饉などに備える備蓄・代用食となる植物のことで、備荒植物とも呼ばれます。歴史的にまとまった記述としては江戸中期、1755(宝暦5)年に陸奥国一関藩の医師、建部清庵によって著された「民間備荒録」が嚆矢るでしょう。建部は明の救荒書「荒政要覧」(1607年、兪如為による)を読み民間備荒録の編纂を思い立ったとされていますが、引用典拠にはほかに中国最古の農書「斉民要術」(6世紀)、明代「救荒本草」(15世紀)や、宮崎安貞による日本最古の農書「農業全書」(1697(元禄10)年)、貝原益軒の「大和本草」(1709(宝暦7)年)なども用いられています。 4.救荒植物の再発見こうしといえ
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