熊本大学の教養教育 肥後熊本学
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リス人医師のエドワード・ジェンナーであった。ジェンナーは痘瘡に似た牛痘と呼ばれる皮膚病を持つ牛から牛乳を搾る婦人では,皮膚病は出現するが瘢痕を残さず治癒することを見出した。そこでジェンナーは1796年,乳搾りの女性にできた牛痘を農家の少年に接種して,その後天然痘を接種しても感染が防げることを示した。これが種痘法で,この手法の普及によりこれ以降ヨーロッパ地方では天然痘は激減することになる。しかしながら1960年半ばになっても,天然痘はなおも人類を襲いつづけ,中南米,アジア,アフリカなどの国々で流行は続き,患者は全世界で推定3000万人にも上っていた。そこで立ち上がったのが,熊本医科大学(熊本大学医学部の前身)を卒業し厚生省(現・厚生労働省)に入ったばかりの蟻田功氏を含む国際プロジェクトチームであった。1967年より,彼らは流行が続いていた治安も不安定で,熱帯ジャングルなど環境の悪い地域に赴き,種痘を接種する不眠不休の活動を続けた。その結果,1987年に当時内乱が続いていたソマリアで最後の患者が確認され,1980年ついにWHOは天然痘根絶宣言を出すことになった。流行していたウイルスが人間の力によって根絶されたのは人類の歴史の中で天然痘だけであり,世界の公衆衛生における蟻田氏の貢献は計り知れないものがある。ATLの発見と高月清氏 存在していて,それぞれ異なる免疫機能を司っていることが知られるようになった時代で,その検査をしてみるとこれらの白血病細胞が成熟したT細胞由来であることが判明した。さらに臨床的な特徴としては,成人にのみ発症し,全身のリンパ節腫脹,肝脾腫,皮膚病変が多発すること,検査所見として血液中のカルシウムが高いこと,さらには抗がん剤に耐性で,急激に症状が悪化して死亡することを見出した。高月氏はこの白血病が新たな疾患であることを提唱し,成人T細胞白血病(ATL)と名付けた。高月氏はさらにこれらの多くが九州出身であることを見出し,ATLが何らかのウイルスによってもたらされた可能性を示唆した。実は同様の症例は九州地方では頻繁に認められていたのだが,誰もそれが新しい疾患であるとは思わず,他の白血病と同様に扱われていたのが現状であった。彼はこの研究が認められて,1981年熊本大学医学部第2内科(現血液内科)の教授となり,さらにATLが多発する九州,熊本でATL1970年初頭,京都大学の第2内科の講師であった高月清氏は臨床の場で独特の細胞形態を有する白血病が存在することを見出した。当時リンパ球にはT細胞とB細胞が

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