1今Research研 究南西諸島からの比較民俗学総合人間学科総合人間学科総合人間コース(民俗学)及川 高 准教授研究テーマ歴史学科歴史資料学コース(日本史学)三澤 純 教授日本近世・近代移行期の歴史研究歴史学科研究テーマも現地調査を続けている奄美に初めて行ったのは2004年の夏のことでした。東京の港からフェリーに乗り、一昼夜かけて鹿児島の志布志に寄港し、そこからさらに半日以上かけて奄美大島の名瀬港に到着しました。当時の私には時間があり、日本の広さを身体で感じてみたかったのがフェリーを選んだ理由でした。 私が携わる民俗学は旅をする学問です。旅をして現地調査を行ない、民俗誌と呼ばれる調査資料を作成し、それを基に色々なことを考えてゆきます。当たり前のことですが、遠くに行くほどにそこの文化や社会は見慣れないものになっていきます。聞いたこともない神様を祀っていたり、お正月に変わったものを食べていたり、驚くほど盛大な結婚式を挙げていたり……こうした地域文化を聞き取ってまとめたものが民俗誌です。民俗誌はそれ自体が興味深い読み物ですが、これらをただ面白がるのではなく、これまで慣れ親しみ当たり前だと思っていた自分自身の文化と比較し、突き合わせて、やがて自らに対する理解を深めていくことに民俗学の課題はあります。その意味で民俗学の旅とは広い意味では自分探しの旅だということもできるでしょう。実を言えば私が奄美をフィールドに選んだのも「日本人にとって宗教とは何なのか?」という問いに対して、奄美文化を鏡として考えるためでした。その答に自分なりに辿りつくには結局それから10年近くかかってしまいましたが、それでも南西諸島への長い旅は私の問いにとって最短距離でした。世紀の日本の歴史を、主に民衆の視点から研究しています。大まかに言えば、明治維新を真ん中にして、江戸時代の一大転換点となった「化政期」から、国際社会における日本の立ち位置を決定づけた日露戦争までの時期になります。歴史上の区切りが、政治権力の交代で語られるのは、歴史をトップダウンの視線で見ているからです。例えば、明治5(1872)年11月9日に太陽暦(新暦)採用が布告されますが、民衆は、農業や漁業と密接に結びついていた太陰太陽暦(旧暦)を簡単に捨て去ることはできませんでした。その後は、新暦と旧暦とが共存する時期が長く続きます。私は当時の民衆の日記や手紙をたくさん読みますが、そこに書かれた日付が新暦・旧暦どちらのものなのか、注意深く文脈をたどる必要がある場面にたくさん出くわします。このように国民一人ひとりのカレンダー感覚がバラバラでは、役所や学校、そして軍隊の運営もしづらいため、政府が新暦の浸透を強力に推進しようとしたのは、日露戦争後のことでした。しかし、私たちが今でも正月のことを、それが真冬にもかかわらず「新春」「初春」と呼ぶように、旧暦の影響は、現代社会にも色濃く残っています。高校までの歴史の教科書は、基本的にトップダウンの視線で書かれています。これをボトムアップの視線に切り替えたとき、そこには新しい光景が広がっています。その光景は、これまで歴史が苦手だった人にも、歴史の面白さを感じさせてくれるはずです。皆さんも「考える歴史」にチャレンジしてみてください!教員の研究紹介文化比較を通じた自己省察歴史をボトムアップの視線で見直すと…19
元のページ ../index.html#54