九州大学 文学部 2023
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▲イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872‒1970)の『哲学の諸問題』(初版は1912年)。優れた数学者・論理学者でもあったラッセルは『プリンキピア・マテマティカ』(ホワイトヘッドとの共著、1910‒1913)により現代数理論理学の領域に金字塔を打ち立てた。またラッセルは、第一次世界大戦に対する非戦論の主張でケンブリッジの教授職を解任され、投獄されたほか、第二次世界大戦後には核兵器廃絶運動にも積極的に関わり、自らが起草した「ラッセル=アインシュタイン宣言」(1955)を発表したことでも知られる。11「哲学は教えることができない。教えることができるのは哲学することだけである」。私はこの言葉を次の意味で理解することにしています。すなわち、哲学を学ぶときに重要となるのは、既成の知識を習得することではなく、哲学的な態度、言い換えれば、つねに物事の根本に立ち戻り、世界をひとつの全体として思考する態度を身につけることである、と。 哲学は、現在大学で学ぶことのできる学問の中で、もっとも歴史が古いもののひとつです。しかし、よく知られているように、近世・近代と呼ばれる時代になると、多くの「新しい学問」が哲学から袂を分かっていきます。17世紀には自然哲学から「自然科学」(物理学)が分化し、18世紀には道徳哲学と経済学はそれぞれ別の道を歩みはじめ、さらに19世紀に入ると、様々な「人間科学」・「社会科学」(心理学や社会学など)が、相次いで哲学からの独立を宣言します。今日、これらの諸科学は高度に専門化された知識の体系を築き上げ、ミクロな素粒子から広大な宇宙の成り立ちに至るまで、あるいは私たちの心のメカニズムから社会の仕組みに至るまで、とても精緻な説明を与えてくれます。また、それらは未来に生じる事象をある程度の確度で予測する能力をもち、場合によっては、それを制御する力も有しています。こうした「力」を前にして、私たちは、科学に揺るぎない地位を与え、科学抜きには立ちゆかない時代を生きることになりました。 こうした時代において、多くの科学の母体となってきた哲学は、その役目を終えてしまったのでしょうか?哲学は、過去の偉大な哲学者たちがのこした言葉をたんに語り継ぐといった、「骨董的な価値」しかもちえないのでしょうか?そんなことはありません。なぜなら、たとえ科学が発展を遂げたとしても、いやむしろ発展すればするほど、そこに哲学的な難問が立ち現れてくるからです。宇宙の起源に関する壮大な理論は、観測された証拠(エビデンス)が仮説を確証するとはいかなることかという問いを誘発します。脳科学の発達は、従来の「心」の概念をどう捉えなおせばよいのかという問いに結びつきます。遺伝子工学を応用して、特定の病気に罹りにくい人間をつくり出すことは、私たちを幸せにするのかという難問も、科学の発展から生じたものです。また、経済学が前提してきた「合理的な経済主体」、つまり自己の効用の最大化を目指す人間像は維持できるのかといった問いも真剣に問われなければなりません。これらはいずれも、物事の根本に立ち返らなければ答えられない問いであり、また、世界の特定の領域にとどまっていては答えられない問い、言い換えれば、世界をひとつの全体として捉えようとする態度なくしては答えようのない問いなのです。これこそが、まさに私の言う「哲学の問い」です。 この文章を読んで、これから大学で学ぼうとする皆さん方の哲学についてのイメージは、わずかながらでも豊かになったでしょうか?私はそう期待します。しかし、「哲学とは何か」という問いに納得のいく答えを見いだすことができるのは、最終的には、皆さん方一人ひとりだと思います。私は、伊都キャンパスの研究室や教室で皆さん方と議論できることを楽しみにしています。

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