九州大学 文学部 2023
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Philosophy Course▲ 国宝 木造薬師如来像 平安時代初期 像高50cm 奈良国立博物館なら仏像館 (旧京都・熊野若王子神社御正体) 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム12 仏像は美術といえるのか。書や工芸は、どうして美術史では長らくマイナーだったのか。どうして古いものにより価値があるといえるのか。美術のまわりでは、ふつうに納得できないことが意外に多い。1990年を前後する頃から日本における美術史学では、100年間にわたる学問の歩みについて厳しく自省を迫り、こうした問いかけにようやく回答を見出してきた。美術をめぐる制度論と呼ばれる議論がこれにあたる。 自明とされてきた美術という言葉や概念は、もともと日本をはじめ中国や韓国などの漢字文化圏には存在していない。じつは、明治になって西洋の近代文化を受容する過程でドイツ語からの翻訳語として生まれ、その後、成長を遂げてきた。美術館に行くと、作品に触れることは禁止され、沈黙を強いられる。モノとの対話から触覚と聴覚を奪い、ひたすら視覚の対象としてのみ鑑賞する。これが美術をめぐる制度の正体である。 美術は近代における歴史的な産物である。この議論は、目前の美術品には、美術以前の歴史や美術以後の歴史もあるという自覚をうながし、いわゆる古美術の研究者にも画期的な意義をもたらすことになった。美術をめぐる制度は、文化財保護のための法律や美術館や博物館などの展示施設、美術団体や学会組織などにとどまらず、作り手や語り手による言葉を使った作品記述や歴史観・思考法の全てに及んでいる。こうした有形無形にわたるさまざまな制度の下で、私たちは美術を信奉し享受してきたのである。 制度論というと何か難しいかもしれない。それならば、近代以降、美術という色眼鏡をつけて作品に対峙してきたと考えてみよう。西洋風の真新しい色眼鏡をつけて仏像を美術とみなし、西洋の物差しにあわせて彫刻や絵画が美術の主要なジャンルに再編され、その歴史が語られてきたこ文学部はテクストだけでなくモノも研究します井手 誠之輔 (美学・美術史)とになる。色眼鏡をはずし、あるいはレンズの歪みを補正すれば、正しく対峙できるのか。しかし、それは決して簡単ではない。美術の色眼鏡をはずしたら、たとえば宝物のような、もっと古い色眼鏡の存在に気づかされるかもしれないからである。古い時代を立派と考える儒学や国学の制度も干渉しているに違いない。制度からの真なる決別と自由の自覚は、出家して修行を続けた人のみが到達できる境地にしかない。そうならば、私たちは、さまざまな有形無形の制度に不断に染め上げられる中で、生きていると心得ていた方がいい。哲学コース美術を考える文学部では、もっぱら文字で記されたテクストを研究する。そんな一面的な思い込みをしていないだろうか。文学部には、絵画や彫刻といった美術品や遺跡や考古遺品といったモノを対象とする研究分野もある。さらに踏み込んで、美術とは何か、アートと美術はどこが違うのか、と考えてみるのもいい。学問の根拠を問い直すことでさまざまな議論の視界が開かれていく。それも人文学に共通する醍醐味である。

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