Literature Course◀ 出典:プルースト『失われた時を求めて』(吉川一義訳)、岩波文庫、2010年ロザリオ17 文学の研究には、書物の校訂というものがある。古典などの本文を、異本と照らし合わせて厳密に訂正する仕事である。中世の写本ならばともかく、出版文化が興隆する近代以降の書物であれば、このような作業は不要と思う向きもあるかもしれない。だが、現代の文学を扱う場合でも、校訂者が困難に直面することはままあるのだ。 たとえば、名うての難題としては、20世紀フランスの文豪マルセル・プルーストが上梓した『失われた時を求めて』の事例が挙げられる─「そのとき叔母は、蒼白く生気のない哀れな額を私の唇のほうに差しだすのだが、朝のこの時刻ではまだかつらの毛を整えていないので、額のうえにはまるで■の冠のとげや数珠の玉のように椎骨が浮き出ていた」。これは同長編小説の第1■『スワン家のほうへ』に登場するレオニ叔母の描写であるが、脊柱を形成する「椎骨」が額に浮き出ることなど、解剖学的にはありえない。プルースト自ら校正した1913年刊行のグラッセ初版以降、この奇妙な記述は各版に受け継がれていくのだが、その間に文言の是非を問う研究者の議論は白熱し、1987年にガリマール社から出されたプレイアッド新版では、ついに斯界の泰斗ジャン=イヴ・タディエが果断にも元の本文を常識的な表現に訂したのである。つまり「額」ではなく、「かつら」から「椎骨」状のものが覗いているというように。 しかし、これで問題は決着を見たのではなかった。面白いことに、近年の草稿調査にもとづく再検証によって、いまや本来の表現を是とする説が優勢になりつつある。 もちろん、こうした話は『失われた時を求めて』だけに限らない。ふだん読んでいる名作の一言半句も、じつは研究者の地道で綿密な校訂の作業を経て活字になっているのだ。さて、皆さんにも、現代文学の最高峰に数えられるプルーストの傑作を味読しながら、この箇所に込められた作者の真意について考えてみて欲しい。テクスト校訂の醍醐味髙木 信宏 (フランス文学)文学コース知的冒険のすすめ文学作品を読み解く作業には、予想を超えた困難がつねにともなう。しかしそれを克服して得られる発見の悦びは深く、筆舌に尽くしがたい。対象となる文献も研究の方法も多種多様であるが、文学の研究とはこのような悦びを共有する、きわめて実践的な学問なのである。
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