Literature Course(ギリシア国立アテネ考古学博物館蔵)▲ 紀元前370年頃のセイレン像▲ ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス『人魚』(1900年)18えいこう 近代ドイツ文学の新たな潮流は、デンマークのアンデルセンに多大な影響をもたらす。そのとき最初に成立したのが、『人魚姫』(1837年)であった。但し、この物語は、「美しい声」の喪失物語として、「陸の男」と「水の女」の言語的意思疎通の破綻を三重に描く。海上であれ、陸上であれ、空中であれ、両者の言語的断絶は深い。「美しい姿」の人魚姫が「美しい声」を失うことの意味は、あまりにも大きいのだ。 その後、『人魚姫』が逆にドイツ文学に多大な影響をもたらす。現代ドイツ文学において、言語による意思疎通の破綻は先鋭化が進み、しかも既存の言語が原理的機能不全に陥っていく。但し、このような絶望的状況のもと、新しい文学の模索が始まる。「水の女」の物語は、既存の世界にいる私たちに、新しい男女のあり方、新しい言葉、「どこにもない場所」の模索を促す。私たちは今、新たな大海原の前にたたずむ。 文学は「ユートピア」である。 ヨーロッパ文学における「水の女」の系譜は、古代ギリシア神話を水源とする。もっとも、ホメロス『オデュッセイア』に登場したセイレンは、古代末期以降、キリスト教のもとで姿を変えていく。もはや「美しい声」で誘惑する半人半鳥ではなく、「美しい姿」で誘惑する半人半魚へと変容するのだ。その後、「水の女」の系譜は、中世やルネサンス期の民間伝承や民衆本を経た後、近代ドイツのメールヒェンにて川幅を広げ、更にデンマークへと至り、世界文学という海原に流れ出ていく。 こうした流れの中で、近代ドイツ文学の役割は大きい。「美しい声」と「美しい姿」を併せ持つウンディーネ、メルジーネ、ローレライがたえず姿を現すからだ。セイレンの後裔たちは、明るい海原ではなく、奥深い森の湖沼に現れるようになると、文学において内面化された「他者」と化す。「水の女」の系譜は、近代ドイツ文学において、「未知なる他者」のみならず、「未知なる自己」をも取り込みながら、「水の深さ」が「心の深さ」となる現代的な「他者」経験を問題にしていく。メールヒェン研究「水の女」の物語小黒 康正 (ドイツ文学)文学コース
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