Literature Course図1:『竹取物語絵巻』(九州大学附属図書館蔵)19(1)今は昔、竹とりの翁といふ者ありけり。(2)今となっては昔のことだが、竹取の翁という者がいた。 この1文は皆さんご存知の通り、有名な『竹取物語』の冒頭です。現代語に訳すと、以下のようになるでしょう。 現代語訳は、古典語を現代語に置き換える作業です。そのままでは理解できないことばを、理解できることばに置き換えているわけです。しかし、考えてみれば、両者は同じ日本語です。したがって、(1)と(2)の相違は、時間を経て日本語が変化したことを示していることになります。 まずは述語の部分に注目してみましょう。「ありけり」は「いた」に変わっています。現代語では、モノが“存在する”ことを表すときには「ある」を使いますが、ヒトが“存在する”ことを表すときには、「ある」でなく「いる」を使います。しかし、どうやら古典語では、ヒトの場合も「あり」を使ったようです。だとすると、いつ、どのようにして「あり」は「いる」に変わったのでしょうか。―こうして、ことばの歴史的研究はスタートします。 確かに、現代の我々からすると、ヒトに「ある」を使うのはおかしいと感じられますが、昭和時代の文献を見ると、ヒトに「ある」を使うこともまま見られます。(3)むかしむかし、あるところに■さんと婆さんがあった。ことばの歴史を探ることで、ことばの仕組みを知り、人間の営みを学ぶ。青木 博史 (国語学) (『日本昔ばなし』) ただ、どんな場合でも使うことができたわけではなく、「昨日は1日中家にいた」という場合は使えません。どういう条件があったのでしょうか。文学コース過去のことばを再構する言語の歴史を再構するには、過去の文献資料を用いる必要があります。しかし、文献資料に現れた例を年代順に並べるだけでは、言語史にはなりません。当該の文献資料は、どのようにして作られ、どのような言語が反映しているのか。文献資料に透けて見える、当時の話しことばを繋ぎ、言語史を構築していきます。
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