大阪大学 GUIDEBOOK 2023
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 「アンドロイドで遠隔地の他人と対話していると、いつの間にか自分自身がアンドロイドに乗り移ったような感覚になる。これはアンドロイドが海外にあっても同じ。いきなりアンドロイドの体をつつかれると、自分の体がつつかれたように腹立たしくなる。一方で対話相手も、アンドロイドに本物の人間を感じるようになる。異性の見かけを持つアンドロイドに触れることにためらいや羞恥の感情を抱くこともある。操作している体とアンドロイドのどちらに自分のアイデンティティがあるのだろうか」。 こうした体験を通じ石黒教授は「相手がロボットでも、人間と同じ関わり方ができれば、それは人間と呼んでいいのではないか」との確信を抱くようになりました。 「私たちが誰かとしゃべっていて、仮にその人に心臓が2つあったら人間とは言わないのですか?心臓が1つかどうかとか、流れている血が赤いか青いかとか、中身の仕組みはどうでもよい。人間としての関わり方ができるかどうかが本質なのです。生身の体を持つかどうかは人間の定義とは関係がない」。 これを極論と感じるとすれば、それは「生まれながらに植え付けられた固定観念でしかない」と言います。 「義足や義手のパラアスリートを、8割ぐらいの人間だなんて思わないでしょ?どう考えても100%人間です。時には義足で健常者よりも速く走れたりする。技術が進めば人間の能力のかなりの部分が機械で置き換えられる。生身の肉体を持たなければ人間ではないと考えることがおかしい。それは『生身の体を持つほうがロボットより偉い』と考えると、人間にとっては楽だからです」。は「自分に心があると確信できる人間なんていないはず」と、あえて挑発的な疑問を投げかけます。 「心は自分の中にある仕組みではなく、対話や関わりを通して相手に感じるものなんです。本当はヒトにもロボットにも心はないかもしれない。ただ僕たちがヒトの行動を見て心があると感じ合っているから、お互いにあると信じ込んでいるだけではないか」。 相手に心があると思い込ませることができれば、ロボットも人間らしい心を持ったと主張していいはずです。その例として演出家の平田オリザさんと共同で、人間とアンドロイドによる演劇に挑んだ経験を挙げます。平田さんは「役者に心は必要ない。私の言った通りに動けば完璧に感動的な演劇になる」と公言し、役者の動きを事細かく指導する演出家だと言います。「ここで0.3秒の間をとる」「あと50センチ前に立って」などと計算し尽くした演出はコンピュータプログラムでロボットを動かすことに近いものです。このコラボレーションは大成功を収め、会場は感動の涙であふれました。また、多くの観客から「アンドロイドに人間以上の心を感じた」という声が寄せられました。 石黒教授は「人間の感情って、ある意味むちゃくちゃ単純なんです。スピーカーから笑い声を流した部屋に人間を入れると5分で100%笑います。怒りの声が流されると腹が立ってくる。隣り合って映画を見ているアンドロイドが泣いたり笑ったりしたら、自分も泣いたり笑ったりする。感情は強制的に共感させられるのです」と話します。一方で、「複雑なストーリーを読んでシーンを想像し、それから泣くというプロセスもあります。意識や感情というのは浅いものから深いものまで、非常に幅広い」とも言います。 そして今後、重要になってくるのがロボットの意識についての研究だと語ります。特集教育システム大阪大学の研究キャンパスライフインフォメーション続きはWebでぜひご覧ください。体や時空から解き放たれた多様な生き方が認められる社会とは?大阪大学の最先端の研究をWebでもご覧いただけます。3研究ロボットに心はあるか とは言え、私たちヒトとロボットがどちらも「人間」だと社会がすんなりと受け入れるには時間がかかりそうです。納得できない理由のひとつに「心」の存在を挙げる人もいるでしょう。これに対しても石黒教授石黒栄誉教授にとって自分探しのライフワーク、自分を理解するための大事な活動。研究を始めた頃は目指している山がどれだけ高いのかさえ見えなかったが、ようやく山の全容が望めるところにたどり着いた。やはりこの山は、高い。とは

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