大阪大学 GUIDEBOOK 2023
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忽那教授の著書のがあるのか。患者さん自身が入力することで、はるかに幅広い情報が集まる」と期待を寄せています。 また、感染症専門家の重要な役割として「抗菌薬の適正使用」の推進を挙げます。第二次世界大戦で多くの戦傷者を感染症から救ったペニシリンなどの抗菌薬は、人類に福音をもたらしました。一方で、乱用により薬が効かない耐性菌が誕生し、院内感染など新たな弊害ももたらしています。そうした危険性の啓発に加え、「薬剤に頼らない感染対策」の可能性を探っているのです。例えば、セミの羽が持つ微細な突起が病原菌を殺す働きがあることに注目し、院内感染防止に活かそうというユニークなアイデアも温めていると言います。感染予防の啓蒙にも積極的に取り組む。特集教育システム大阪大学の研究キャンパスライフインフォメーション大阪大学の最先端の研究をWebでもご覧いただけます。5研究血液内科医志望から感染症研究へ 忽那教授が感染症専門医を目指したのは研修医のとき。「小学生のときに父が白血病で亡くなり、血液内科医を志しました。しかし研修先の病院で感染症に苦しむ患者さんが多いことに気づきました。白血病で入院した患者さんも感染症で亡くなっている。それなのに感染症のことを系統だって知る医師が少なく、必ずしも適切な治療がなされていなかった」というもどかしさからだと話します。 そして感染症医として第一歩を踏み出した頃、奈良県内の病院で回帰熱の患者を診たことが次の転機となりました。中央アジアからの帰国者で、日本初の症例でした。海外の感染症に興味を持ち、2012年から国立国際医療研究センターの国際感染症センターに勤務。そこには空港の検疫所から次々と帰国感染症の患者が送られてきます。「5種類あるすべてのマラリアや、国内初のジカ熱の患者さんも診ました。私は日本で最も多くの感染症を報告した医者だと勝手に名乗っているんですよ」と笑います。 そんなエキスパートでも、2019年暮れに中国・武漢で発生した「謎の肺炎」がこれほど拡大するとは想像できませんでした。年明け早々に日本に上陸した新型コロナと最前線で戦う日々が続いたのです。「苦労も多いが、やりがいもある」 戦いを通じ、「日本は感染症への備えが十分でなかった」と痛感しました。新興感染症は限られた指定医療機関だけで診ることが前提で、爆発的な感染拡大に対処し切れませんでした。PCR検査の数が足りず、検査対象を絞らざるを得ない時期がありました。病床があふれ、「医療崩壊」という言葉がマスメディアを賑わせました。“専門家”を称する人たちが科学的根拠を欠く発言を繰り返すことも歯がゆかったと言います。「少なくとも現在1,600人いる感染症専門医を倍にしなければならない。専門の看護師や医療従事者も足りない。何よりも感染症に対する国民の知識を底上げしなければ」との思いを強くしました。 感染症専門医は細菌やウイルスを顕微鏡で観察し、患者さんと一対一で向き合うだけでなく、海外の動向にも目を配る必要があります。ミクロからマクロまで幅広い視点が必要なのです。忽那教授も、コンゴ共和国でエボラ出血熱の対策に従事した経験で視野が広がりました。「苦労も多いけれど、活躍のフィールドが広く、やりがいのある仕事」だと振り返ります。 天然痘と戦った幕末の蘭方医・緒方洪庵ゆかりの「適塾」を源流とし、微生物研究所や免疫学フロンティア研究センターという世界的な研究拠点を持つ本学は「感染症の研究や教育に最も適した環境」と話します。2021年4月に発足した大阪大学感染症総合教育研究拠点では人材育成部門の副部門長に着任。後進の育成にもあたる現在、「いまの高校生はコロナ禍で学校生活がゆがめられ、感染症が社会にどれほどの変動を与えるか身をもって理解している。その中から感染症に立ち向かう若者がひとりでも増えてほしい」と呼びかけています。忽那教授にとって臨床で浮かび上がった疑問点を解決する手段。患者さんの診療をしていると、「世の中にまだ正解が存在しない問題」に出くわす場面があります。問題を解決できる道筋を考え、答えを見つけ出すために、私は研究しています。ある意味、同じことの繰り返しである臨床を、刺激を保ちながら続けるためにも、並行して研究することが大事だと思っています。とは

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