大阪大学 GUIDEBOOK 2025
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際立つことがあります。「ドキュメンタリー映画」の概念を生んだ英国の映画制作者で批評家のジョン・グリアソン(1898〜1972年)は、ドキュメンタリーを「現実の創造的処理」と言いました。この言葉の意味を、東准教授はこう説明します。「人間が普段見ている風景と、カメラを通して切り取った風景は異なります。例えば、スローモーションやクローズアップは生身の人間の目では知覚できないもの。人は、映像を通してそれまで経験したことのなかった知覚の拡張を手に入れました」。 現実を映しながらも、創造的手法が加えられる。カメラを通すことで、世界観が変容したのです。「日常がすごく不思議なものに見えたり、よく知っているものが未知のものに見えたりする。そんなふうに普段の風景をちょっと違ったように見せてくれます」。それこそが、ドキュメンタリー映画の魅力であり、役目なのだと言います。史を相対化する視点や批評精神を養って欲しい」と訴えます。 映画を早送りで見る人が増え、映画のストーリーを短時間に要約する「ファスト映画(あらすじ動画)」があふれるスピードの時代に、ドキュメンタリー映画にはあえて1つの対象やありふれた日常を長時間投影し続ける「スローシネマ」と言えるような動きもあります。「効率性とは真逆で、撮影対象とも濃密な関係を作ります。私はそこにもドキュメンタリー映画の1つの存在価値があると感じます」。 ドキュメンタリー映画はその昔、世界の新しい見え方を提示して人びとに衝撃を与えました。いま、それらが指し示すのは氾濫する映像の海を正しく泳ぐ方法です。 「過去の映像を振り返ると、自分の中に比較する基準ができ、映像リテラシーを養えます。一方的、真偽不明の映像があふれる現代だからこそ、そのリテラシーがきっと役に立つはずです」。PROFILE東 志保(あずま しほ) 2006年国際基督教大学比較文化研究科博士前期課程修了。14年パリ第三大学芸術メディア研究科博士課程修了。映画視聴覚研究博士(Docteur en Cinéma et Audiovisuel)。国際基督教大学平和研究所助手などを経て、17年大阪大学文学研究科助教。21年同准教授。22年より現職。専攻は映像研究、比較文化論。大阪大学の最先端の研究をWebでもご覧いただけます。5特集教育システム大阪大学の研究キャンパスライフインフォメーション撮影者と被写体が対等に 記録映画の中で「移動」というモチーフに着目したのは、2013年に山形国際ドキュメンタリー映画祭がマルケル特集を上映し、そのカタログ編纂を任されたことがきっかけでした。その作業の中で、彼の先駆者的存在のヨリス・イヴェンス(1898〜1989年)や同時代のアニエス・ヴァルダ(1928〜2019年)ら、他の映画作家との関係性にも関心が広がったと言います。三者とも世界各地を無国籍的に旅してドキュメンタリー映画を撮影しましたが、その移動には記憶という「時間の移動」も含まれました。「記憶によって1つの空間から別の空間へつながっていくという手法が共通」していたと言います。 映画が生まれた初期にもカメラマンが世界各地を旅し見知らぬ土地の風景を記録しましたが、それらは「見世物」として上映されました。そこには異国趣味や帝国主義的な価値観が反映されていましたが、イヴェンスら3人は、そのような傾向に抗い、「撮影者と被写体の対等な関係性を重んじ、ドキュメンタリー映画に新風を吹き込もうとした」のだと言います。 それは手持ちカメラや同時録音に特徴づけられる「シネマ・ヴェリテ(映画・真実)」や「ダイレクト・シネマ」と言われる1960年代以降の流れにもつながっています。こうして東准教授は、独自の視座によって、ドキュメンタリー映画史の新たな系譜を探り、潮流の再発見をしてみせました。歴史を相対化する視点 20世紀は、近いようでまだ知られていないことも多い時代。読み解く手がかりは、多く残された当時の映像です。ドキュメンタリー映画は、第二次世界大戦前後にはプロパガンダの手段ともなった一方で、マルケルらの作品は正反対に世界の多義性や複雑性を映し出そうとしています。東准教授は「学生たちにはそうした作品を見ることで歴東准教授にとって新しい世界への扉。研究対象を掘り下げると、別の事柄とのつながりが見えてきます。終わりのない拡がりが奥深いですね。とは研究

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