Saidai Concierge vol.25
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表と裏、あるいは社会の階層間の争い、それに憑きものが絡んでいるとかいろいろな問題があるのだなと考えさせられたものです。 そして、なぜ憑きものが生まれたのか、どうしてこんな問題が起こるのかということを、少し真面目に考え始めました。同時に、民間伝承調査の難しさを実感した瞬間でもありました。 自分たちとは違う生活文化を奥深くまで理解するのは難しく、どこまでできるかわからないけれど、それでも理解してみたい——そんな気持ちになりました。その頃から、深く知るためには、学部の勉強だけでは不十分で、大学院に行って、しっかり裏表も見られるような、そのための分析方法も身につけたいと思うようになりました。民間伝承の謎に惹かれ、大学院でより深い学びへ。そして、40年に及ぶ研究課題「いざなぎ流」と出会う 大学院は東京都立大学の人類学のコースに進みました。都会から離れていれば違った文化があるのではないかと思い、夏休みの1ヶ月間、高知県香美郡物部村で犬神の調査をしました。 そこで、憑きものを構造論的、人類学的な分析方法で考え直すことを始めました。そして、この場所で「いざなぎ流」と運命的な出会いをしたのです。 いざなぎ流とは、「太たゆう夫」と呼ばれる在地宗教者によって伝承されてきた民間信仰のことです。当時、ほとんどの民俗学者に知られていませんでした。 いざなぎ流とは何なのかということで、その宗教者たちの持ち物を見ると、変なものばっかりなんですね。気持ち悪いぐらい変だという気がして調べ始めました。 山の中に伝わるこの民間信仰は、奈良や京都などで長く伝わってきた宗教や仏教とどう結びついているのか? 疑問は募るものの、誰もその問いには答えてくれない。ならば自分でやるしかない。こうして研究を重ねていたある時、他の宗教と照らしてみると、いざなぎ流の特徴が見えてきたのです。 そして、いざなぎ流を日本の宗教史に位置づけ、そこからいざなぎ流を理解して一冊の本を書き上げるのに40年かかりました。人文科学において本気で謎を解き明かそうとするとものすごく時間がかかるんです。 それでもまだ解けない謎がたくさんあります。屈辱的な出来事がきっかけになった「絵画」という新しい領域の発見 大学院時代にあることでとても悩んでいた時期がありました。勉強するほど、自分がもっている謎がどんどん解けていく喜びはありましたが、同時に自分は何も生み出していないことに悩んでいたのです。研究とは誰もやらない新しい領域を作り出す、あるいは誰も知らない知識を増やしていくことだからです。 ところがあるとき、自分で新しい領域を発見できることに気がついたのです。その領域こそが絵画だったのです。大学院に入ったころ、東京国立博物館が所蔵する絵巻物の色を見るため、先生に推薦状を書いてもらい、博物館を訪ねました。すると、「大学院生なんかには、見せられないよ。」と。これにはものすごく屈辱的で腹が立ちました。当時、絵巻物のような貴重なものは普通の学生が見られるものではなかったのです。 そこで思ったことは、これでは倉庫の中で秘密が眠ってしまっているようで、特権階級の研究になってしまうと旧家の祭りをするいざなぎ流太夫多種多様ないざなぎ流の祭文類講演を行う小松先生3SAIDAI CONCIERGE
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