滋賀大学 教育学部
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滋賀から発信しつづける美術教育の牽引車 banba teruyo馬場 輝代11馬場輝代 (ばんば てるよ)1970 (昭和45) 年、滋賀大学教育学部卒業後、教師生活をスタート。その間、全国教育美術展等で数々の受賞。草津市立老上小学校長、同笠縫東小学校長、滋賀県総合教育センター所長、滋賀文化芸術学習支援センター長、草津市立草津アミカホール館長などを歴任。んの入賞者を出し、とても嬉しかったそうです。教師になってから、2回の全国1位をはじめとして、数え切れないほどの受賞を重ねた図画工作科の指導者は、学生時代にすでにその端緒をみせていたのです。馬場先生は現在、学校とアートをつなげる仕事に取り組まれています。美術館やさまざまなアーティストを巻き込んだ、全国的にも注目されている活動です。“アートによって教育を変える”これが馬場先生の夢なのです。 (インタビュー2006年)「がんばった成果は、子どもたちにかえる」「図画工作科を通して自分に自信の持てる子どもを育てたい」‥‥これが馬場先生の教師生活を一貫して支えた熱い思いです。2年間、県総合教育センター所長として滋賀県教育の指導的立場にあった後、現在は学校教育とアートの広い連携をめざして、夢のある新しい仕事に取り組みはじめたとのことですが、その熱い思いはますますヒートアップしているように見受けられます。38年もの間、滋賀県の図画工作科教育を引っ張ってこられた先生の土台はどこにあるのですか?という質問には、「もちろん滋賀大学の学生時代にあります。」というお答え。中学校の美術の時間に彫塑の作品がほめられたことがあり、その記憶が理由となって、大学の4年間は黙々と彫塑に取り組み続けたのだそうです。長い夏休みも朝から晩まで制作を続け、お母さんが「輝代はほんまにまじめに大学へ通った」と、昔の思い出話をよく語ったそうです。(ちなみに当時の国立大学の授業料は月1,000円。私大とそれほど差のなくなった今は、高い授業料に加えて情報・消費社会からの誘惑や要求もすさまじく、車、パソコン、携帯、洋服‥‥と、悲しいかなバイトしなければとてもやっていけない時代になりました。でも、馬場先生のような学生が本来の学生なのです。何とかしたいですね。)「指導教官は伊室教授で、大変厳しい先生でした。一生懸命やっていても、ほめ言葉はほとんどありません。今の学生さんがこんな指導に耐えられるかしら」と、微笑を浮かべながら、「でも、何が本当に大事なのかを、常に教えていただいたように思います。そんな先生の指導に突き動かされながら、制作に没頭していたんでしょうね。」 「私にとって、本当にかけがえのないゆったりとした4年間でした」。20歳前後にかけて、何かに心底没頭することが人間の発達にとっていかに大切なことかを、馬場先生の言葉から実感できるのではないでしょうか。自分に自信の持てる世界を得ること、たとえその世界が将来に直接つながらなくても、人の一生を支えるぐらいの土台になるのです。「大学時代に忘れられないのは、学生運動真っ只中での教育実習です。講義は全面ストライキという状態の中で、大学も考えてくれたのでしょう、短縮はされましたが無事実習を終えることができました」。その実習で大変思い出に残る授業ができたのだそうです。テーマは「にわとり」。教室の真ん中に「にわとり」を持ち込み、子どもたちにとっては興味津々の授業でした。当時としてはサプライズな授業で、実習後の絵画展覧会ではたくさ

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