下関市立大学広報 第87号
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退任のご挨拶6The Shimonoseki City University Public Relations N0.872019.3.1理事長の退任にあたって 平成25年5月1日付けで就任した公立大学法人下関市立大学の理事長職を平成31年3月末をもって任期満了で退任することになりました。平成22年の学長就任から数えますと、8年11か月の長きに亘って本学の運営に当たってきたことになります。教職員をはじめ、多くの方々のご協力とご支援に感謝申し上げます。 学長としての3年間は本学の改革・発展のために微力ながら全力を傾注しました。主な改革をあげれば、教学面では、①教学推進会議の新設、②修士課程教育の充実(長期履修制度、社会人教育プログラムの開設等)、③科学研究費補助事業への申請件数及び採択件数の増加、④特定奨励研究費等の認定に審査方式の導入、⑤「国際交流基金」の再発足など。運営面では、①キャンパスの再開発、②教員評価制度の本格実施、③「下関市立大学教員の懲戒等の手続に関する規程」の制定、④ハラスメント防止体制の整備などでした。 平成25年5月の理事長就任にあたっては、理事長の職務はコンパスとマネジメントの役割であり、第2期中期計画こそが、コンパスの軸足であり、進路を示し、成果の基準となるものに当たり、マネジャーとしての理事長の役割は、第2期中期計画に基づき、ぶれない軸足でしっかりした方向性を示し、組織が成果をあげるようにすることだ、と挨拶のなかでふれました(「下関市立大学広報」第70号)。 この第2期中期計画(平成25年度~30年度)は私が学長として取り組んだ諸改革・諸事業をより発展させるものであり、その策定には学長として深くかかわった計画でした。本年3月末までの第2期中期計画の達成状況は、教職員の皆さんの努力などによって、ほぼ達成されると見込まれます。理事長として、コンパスとマネジメントの役割は果たすことができたのではないかと思っております。 とはいえ、課題も残っています。法人評価委員会による年度計画の評価は「概ね実施」がほとんどであり、「上回って実施」は僅少です。このことは、個々の大変な努力がチームの力として結集されていないことを示しているように思います。 この壁を突破するには、大学、各学科のあるべき姿、社会の期待に応える教育と研究とは何か、社会との連携を強化する方策などについて、全学をあげてそれぞれが立場を越えて真剣に議論することが求められています。そして、大学のために、学生のために、社会のために何ができるのか、学内の合意を形成し、大胆な改革と着実な改善の実行が肝要となります。なお、理事長として、このような取組に対して十分なリーダーシップを発揮しえたかどうかについては、今後自らの立場から検証したいと思っています。 最後になりますが、本学が公立大学の雄として、ますます輝きを増すことを祈念いたしますとともに、ご指導・ご協力をいただいた皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。荻野 喜弘理事長公立大学法人下関市立大学市大生活を振り返って 1996年4月に着任して以来、早いもので23年が経過しました。それまでの私の人生では全く縁のなかった下関で、いくつかの課題をもって大学教員として過ごし、無事にその大任を果たすことができたことに感謝しています。 まず教育面では、前任校が短大だったため、専門演習(ゼミ)を担当できることが楽しく、新しい日本史教育に力点を置くことを心掛け、今日までその姿勢を貫いてきました。着任当時は、ようやく日本史研究のなかで「史料論」が注目されてきた時期だったので、歴史研究の基礎にある文献や考古など諸史料の特性を中心に教えてきました。結果的に、歴史系の博士号を取得した研究者や、社会科の教員を育てることができたので、自分の歴史学に対する考え方や取り組みをいくらかでも後世につなぐことができ、嬉しく思っています。ゼミ運営では、ゼミ旅行やインターゼミ活動などを通して学生に知的刺激を与えながら、240名のゼミ卒業生を輩出しました。民間企業はもとより公務員として頑張っている者も多く、彼らが市大櫻木ゼミの卒業生として誇りをもって行動してくれていれば、それは私にとって望外の喜びです。 研究面では、イギリスのケンブリッジ大学に留学ができたことが、自分の研究者生活の質を飛躍的に向上させてくれたと思います。市大に着任して6年目の一年間、在外研究期間をもらったことによって、世界各国の優秀な研究者たちと接することができ、日本史の枠を越えた貨幣史研究を展開させることができました。自分の能力ではかなり無理をしている感じもありますが、出土銭貨という考古資料を使用しながら日本貨幣史研究を牽引し、発展させてきたという自負心はあります。特に、大英博物館から英語版『日本貨幣カタログ』を出版できたことで、「下関市立大学」の名を世界に向って発信できたことは喜ばしいかぎりです。自分が提唱した「貨幣考古学」を学問の一分野として確立するために、後進の研究者育成にあたりつつ、自らもしっかりと研究を積み重ね、これからも精進していきます。 学内業務では、キャリア委員として学生の就職支援を10年ほどやってきたことが、「就職に強い市大」という高い評価を守るための一翼を担っていたものと考えています。さらに入試委員長や図書館長、学部長の職に就き、微力ではありましたが、市大の教育研究環境を整えていきました。思い起こせば、着任当初は研究室の電話が市外に繋がらない、研究室や多くの教室にエアコンがないといった、今では信じられないような劣悪な環境から、よくぞここまできたものだと思います。第二武道場建築、図書収蔵庫新築、フリールーム設置などの課題をこなしてきましたが、まだまだ満足いくものではありません。私はこれで卒業しますが、これからの市大を創っていく教職員の皆様や学生諸君の更なる奮闘・努力を期待し、今後も市大を見守っています。櫻木 晋一教授

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