東北大学広報誌 まなびの杜 No.79
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長谷川 公一(はせがわ こういち)1954年生まれ現職/東北大学大学院文学研究科 教授専門/社会学、社会変動論関連ホームページ/http://www.geocities.jp/abe_jirou_kinenkan/(阿部次郎記念館)http://www.sal.tohoku.ac.jp/abe/(「青春のエッセー 阿部次郎記念賞」)まなびの杜 79号|05 阿部次郎(一八八三―一九五九年)は、東北大学の百余年の歴史を代表する哲学者・思想家です。山形県酒田市(旧松山町)の出身で、今も保存されている生家から鳥海山・月山を望むことができ、阿部の「人格主義」を育んだ風土を体感することができます。 一九二三年から四五年まで東北帝国大学法文学部美学講座の初代教授を務めました。法文学部創設時の文科系教授陣の人選を主導しました。総合的な知性の人。文字どおり人文的な教養を体現した学問横断的な巨人でした。「人生の教師」とも慕われていました。『阿部次郎をめぐる手紙』(青木生子ほか編、翰林書房、二〇一〇年刊)を読むと、いかに学生や後輩たちから敬愛されていたかがよくわかります。 師の夏目漱石にならって「木曜会」と名付けた、自宅を開放しての毎週木曜夜のサロンは、文系・理系を問わず、学生たちの人気の的でした。太平洋戦争間近の軍国主義の時代においてもリベラルな立場を毅然と貫き通し、当時の学生たちの深い敬慕と尊敬を集めました。 自己とは何か、人生とは何か。阿部は、独得の重厚な文体によって「自分の矛盾」を深く見つめた思想家です。旧制高校や大学で西洋的な学問に触れ、近代的な自我に目覚めはじめた大正時代や昭和期の青年たちの心を魅了しました。 初期のエッセー集『三太郎の日記』は、一九一四年に刊行され、一九七〇年代初め頃まで、「青春の必読書」として熱心に読み継がれてきました。『こゝろ』『漱石全集』などとともに、創業直後の岩波書店の基礎を築いたのが『合本三太郎の日記』です。この本は、戦後経営危機にあった角川書店を救った本でもあり、恩義に感じた角川源義が土地や建物を寄贈したのが、阿部日本文化研究所(現・阿部次郞記念館(後述))の由来です。 「この書は単純なる矛盾と暗黒との観照ではない。同時に暗黒にあって光明を求める者の叫びである」(『合本』一四頁)。阿部自身は『三太郎の日記』の意義をこう記しています。光明を求めて彷徨する魂の観照の記録、ここにこそ、若者たちを五〇年以上にわたって魅了し続けた秘密があるでしょう。 阿部は、西洋文化の「窓」、紹介者としての役割を果たしました。同時に、世界的な視点から日本文化の特質を考察した比較文化研究のパイオニアの一人としても、『世界文化と日本文化』(一九三四年)をはじめ、大きな仕事を残しています。今日では、江戸期の爛熟した文化は国際的に高い評価を得ていますが、戦前は、江戸時代はおおむね暗黒時代と捉えられていました。阿部の『徳川時代の芸術と社会』(一九三一年)は、七〇年代以降盛んになる江戸研究の先鞭をつけた著作です。 阿部の学問とその精神を記念し、文学研究科では、一九九九年に阿部次郎記念館を片平キャンパスの近くに開設し、原稿や短冊、土門拳撮影の写真や夏目漱石からの手紙などの収蔵品を展示しています。是非、阿部次郎記念館に足をお運びください。 文学研究科では、東北大学創立百周年を機に、二〇〇七年から一六年まで十回にわたって、高校生を対象に「青春のエッセー 阿部次郎記念賞」を募集してきました。入賞・入選作品を集めた作品集も刊行しております。人生の教師大正・昭和期の青年を魅了比較文化研究のパイオニア――江戸研究の先駆者阿部 次郎阿部次郎記念館後列/森田草平(三〇歳)、阿部次郎(二八歳)、前列/小宮豊隆(二七歳)、安部能成(二八歳)。漱石の高弟四人の合著『影と聲』出版記念の折の写真。「三太郎の小径」。川内キャンパスの附属図書館向かいから、記念講堂の外側を周遊し仙台市博物館の前庭へ至る、約四キロの周回路。1東北大学をつくった人々東北大学創立110周年記念企画

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