東北大学 大学案内 2022年度入学者用
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1933年、本多光太郎が新KS鋼開発1913年、日本の大学として初めての女子学生3名が入学した(黒田チカ、牧田らく、丹下ウメ)1922年、アルベルト・アインシュタイン来校1904年、東北大学の前身仙台医学専門学校に中国人留学生・周樹人が入学(後の魯迅)。魯迅は仙台の地で文学の道を志した。当時の教師藤野厳九郎との交流が、短編小説で描かれた1925年、八木秀次(写真)・宇田新太郎が「八木・宇田アンテナ」を開発1964年、西澤潤一が光ファイバー開発(片平キャンパスの電気通信研究所前と川内キャンパスの入試センター敷地内に「光通信発祥の地」の碑がある)(写真は片平キャンパス)(役職名・敬称略)4Tohoku University 2022研究第一 東北大学は、建学以来の伝統である「研究第一」の理念を高く掲げ、世界最高水準の研究・教育を創造してきました。創立以来114年、日本初、世界初の成果も数多く生み出されています。東北大学では、膨大な学術成果の蓄積と、日々進化していく研究成果を学び、利用することができます。■ さまざまな「日本初」を生み出した東北大学 (このページ右欄のコラム記事も参照)1917年:真島利行(化学系)理化学研究所の特許第1号を取得、1934年:村岡典嗣(法文系)日本思想史学会を結成、1960年:黒川利雄(医学系)日本初の「胃がん集団検診」を開始、1964年:西澤潤一(工学系)光ファイバー開発、1968年:吉田進(工学系)トリニトロン開発、1977年:岩崎俊一(工学系)垂直磁気記録ハードディスクドライブ開発、2002年:田中耕一(工学部卒業)にノーベル化学賞門戸開放 東北帝国大学創設当初、既設の帝国大学が旧制高等学校出身者にのみ入学を認めていたのに対し、本学は専門学校、高等師範学校の卒業生など旧制高等学校以外の出身者にも広く入学を認めました。また、1913年(大正2年)には、当時の政府からの圧力に屈することなく、3人の女性に入学を許可しました。これは帝国大学としては初めてのことでした。つまり、日本最初の女子大学生は東北大学で誕生したのです。その入学試験合格を発表したのは1913年8月21日でしたが、東北大学は8月21日を「女子大生の日」として日本記念日協会に申請し、正式登録されました。 「門戸開放」の考え方は「真に実力のある者はそのバックグラウンドにかかわらず受け入れる」という東北大学の不動の理念として受け継がれています。実学尊重 創業当時のトヨタ自動車のエンジン開発・車体デザインは、東北帝国大学の抜山四郎、成瀬政男の協力で進められました。ソニーでは「交流バイアス法」の特許を持つ永井健三、フェライト研究の岡村俊彦の研究室の協力を得て日本初のテープレコーダー開発に成功しました。また、本多光太郎のKS磁石鋼からトーキン(創業時は東北金属工業)が生まれ、八木秀次・宇田新太郎の八木・宇田アンテナからHYSエンジニアリングサービス(創業時は八木アンテナ株式会社)が生まれたように、東北大学の技術・知見が企業創業や製品開発に貢献している例は少なくありません。 日本と世界をリードする優れた研究成果によって、社会生活に幅広く貢献していくこと。それが建学以来の東北大学の実学尊重の精神となっています。 東北大学は、1907年(明治40年)6月22日、日本で3番目の帝国大学として創設されました。 開学以来、本学は研究と教育を一体のものと位置づけ、優れた研究に裏打ちされた教育を目指す大学として、時代に先駆けた多くの研究成果を日本と世界に向けて発信し、研究教育機関としての社会的貢献を果たして輝かしい歴史と伝統を築いてきました。 これまでの歴史の中で、それぞれの時代の中で、いつも東北大学の1つのバックボーンとして考えられてきたものが「研究第一」「門戸開放」「実学尊重」という3つの柱から成る「建学の理念」です。本学は、これらの理念を大切にすることを土台として、114年の知の継承をさらに未来に引き継いでいかなければなりません。皆さんには、歴史に刻まれた知の伝統を自分のものとし、これからに向けて新しい知を創り出していくような活躍を期待しています。東北大学の歴史・建学の理念東北大学の「建学の理念」114年の知の継承を、さらに未来へ

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