東洋史は、アジアの歴史を対象とする歴史学の分野の一つです。私はそのなかでも中国古代史を専門としています。 歴史学の営みは、〝過去の痕跡〟である史料に立脚して行われます。中国文明は、古代から現代に至るまで、漢字で書かれた膨大な文献を生み出し続けてきました。さらに古代史では近年、竹簡や木簡がとみに増加しています。役所の文書や法律、裁判案件、思想書など、その種類は実に多様ですが、いずれも書かれた当時のリアルタイムの情報を伝えるものです。 日本には、古典の科目「漢文」が存在します。先人達は、中国文明の膨大な知の体系を古典として受容し、自らの血肉とするため、ユニークな方法を生み出してきました。前述した文献や竹簡・木簡も、漢文の知識により、十分に読解することが可能です(もちろん専門的な訓練は必要ですが)。漢字と漢文を通じて、私たちは二千年の時空を超え、古代世界に直接アプローチし、研究の最前線に参画できるのです。 皆さんも一緒に、過去に接近する旅に出かけてみてはいかがでしょうか。それは中国という巨大な隣人を理解する試みであると同時に、翻って日本の文化を知るよすがともなるはずなのです。 誰もが“幸せ”に生きられる社会とはいかなるもので、それはいかに実現可能でしょうか。実現のためにこれまでどのような模索がされてきたのでしょうか。文学部の各専修はこれらの大きな問いにそれぞれの切り口で取り組んでいます。 社会学では、「“誰も”って誰?“誰も”の想定から除外されている人々はいない?」や、「“幸せ”の物差しは人それぞれでは?」と考えることから出発します。そして、「ある人の“幸せ”追求が、他の誰かを不幸にしかねないとき、どうすればよい?」を考えたりします。 環境問題を例にすれば、ある人々に“幸せ”をもたらし、それゆえ“守るべき”とされている環境と、また別の人々にとっての“守るべき環境”とは必ずしも一致しません。様々な価値観をもつ人々が、互いに折り合いをつけながら自然環境と付き合う方法を検討することは、環境社会学の主題の一つです。そしてそれは、自分とは異なる価値観や背景をもつ人々と共に生きる方法を探るという、普遍的な課題にもつながります。 文学部での学修は、皆さんが自らを見つめ直し相対化し、他者との生き方を考える格好の機会になるでしょう。そのプロセスに伴走できることを楽しみにしています。9社会学専修□□□□□□□□□東洋史専修□□□□□□□□□教員メッセージ MessageTohoku University, Faculty Of Arts And Letters 2026Me s s age from Te acher
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