宇都宮大学広報誌 UUnow 第49号
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ワークをし、今日の人々がカトリック教徒として行っている儀礼や発話、音楽などを見てきました。南米大陸は季節が日本と逆なので、たとえばクリスマスは灼熱の時期です。『きよしこの夜』などの聖歌が歌われる点は他国のクリスマスとも共通ですが、幼子イエスを迎えるために竹の笛が演奏されたり、その降誕について語る独特の神話もみられ、カトリックの普遍性と地域の固有性の両方に思いを馳せる経験となりました。■自他を変容させる宣教活動欧米ではない地域のキリスト教について、これまでの研究では「現地の人々は表面的にキリスト教化しただけで、根本的な部分ではそのままであり続けているのでは」と考えられることがありました。ですがこれは、先に述べたアイデンティティや文化の不変性、一貫性、そして連続性を前提とする主張と言わざるをえません。他方でミッション時代のイエズス会士は、先住民が敬虔なキリスト教徒へと劇的に変化したことを強調します。イエズス会士によればその変化は、愛をもって15●UUnow第49号2019.11.20わたしの学生時代わたしの学生時代私私私私私私私私変化を恐れない金子 亜美 助教子どもの頃から音楽が好きでしたが、中学では語学に関心を持ち、英語をがんばって勉強しました。高校は音楽科ピアノ専攻で、音楽を通して物事を考えたいと思っていました。クラシック音楽はヨーロッパの思想の歴史とともに展開してきましたので、世界史を学びながら音楽について考えるのがとても楽しかったのです。東京藝術大学楽理科に入学して、音楽史や美学、民族音楽などを学びました。藝大は東京上野の芸術の街にありますので、国内外の音楽家の演奏を聴くためにコンサートホールに通い、また、世界中の貴重な作品が集まる美術館、博物館巡りなどを楽しむことができました。大学がゴールかと思ったのですが、もっと学ぶために東京大学大学院に入学しました。「音楽を通しての社会、社会を通しての音楽」など、より広い観点で研究するには理論的な基盤が必要です。音楽は世界各地のあらゆる文化と社会とともにありましたので、文化人類学を専攻しました。旧スペイン領南米での音楽を用いた先住民への宣教活動を研究するようになり、現地にフィールドワークにも行きました。スペインを史料調査で訪ねた際には、高校時代に東京都美術館で観た「プラド美術館展」の作品を再び観ることができました。私自身、芸術作品がもたらす感動が研究の原動力となっています。文化人類学を学ぶうえでは批判精神が必要です。多文化共生の時代、多くの他国の人々が日本に在住すると「アイデンティティが失われる、日本文化が薄まる」などの声を学生から聞きますが、日本対外国という対立的な固定観念から脱却し、自分自身も固定的なものではなく、必ず変化にさらされていることに気がついてほしいと思います。(「私の学生時代」取材・文/アートセンターサカモト・栃木文化社ビオス編集室)福音を説き、新たなキリスト教の言語を学ばせ、音楽のハーモニーで先住民の心をとらえることによって達成されたといいます。とはいえ、言説と現実が一致しているとは限りません。研究者が行うべきは、そうした言説の背後にある思想をひもとき、愛や言語、音楽とは何であり、それらが実際にいかに用いられ、どの程度までいかなる効果を持ちえたのかを検討することでしょう。さらに、イエズス会士は先住民側の変化を強調していますが、変化が一方向的なものだったとは考えられません。イエズス会士は先住民を改宗させつつ、現地の実情に合わせて自分たちの語りと行為を調整し、自己をも変容させていたはずです。目下の私の研究課題は、こうした双方向的な変容の過程を探求することです。そのために、ミッション時代に作成された先住民言語の辞書や楽譜などを分析しつつ、土着の関係性や儀礼のあり方にいかなる変容が生じ、それがいかにして今日まで及ぶ社会の再編成に帰結したのかを研究しています。映画《ミッション》のジャケット大学院生時代、チキトスバロック音楽祭の日に、旧イエズス会布教区サンタ・アナに現存するパイプオルガンの前で(左から友人、オルガニスト、本人)旧イエズス会布教区コンセプシオンの大聖堂

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