宇都宮大学広報誌 UUnow 第51号
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13●UUnow第51号 2020.11.20私私私私私私私私ないいわゆる「イメージ」(例えば、「富士山」と言ったときに頭の中でイメージされる像)のように、文化的に構築されたイメージなどを、意識的あるいは無意識的に用いることで、自らの作品のイメージを作り上げます。つまり、ひとつの風景画作品は複合的なイメージの連鎖の結果と理解できるわけです。イメージは時代や地域を簡単に飛び越えるので(例えば、現代の日本のマンガやアニメのイメージの世界的な連鎖があります)、時間と空間を縦横に行き来しながらイメージのダイナミックな展開をたどる研究は非常に刺激的です。こうした研究活動の基本的な作業は、無数のイメージを発掘し収集することです。そのためにイギリスを歩きます。絵画作品を見る好きなことをしようと、大学院へ         出羽 尚(「私の学生時代」取材・文/アートセンターサカモト・栃木文化社ビオス編集室)東京外国語大学(外語)英語専攻に入学しましたが、特に勉強したいことが決まっていたわけではありませんでした。大学の休みには海外に一人旅、タイなどのアジアを巡り、美術作品や文化財、遺跡などを訪ね、写真をとっては記録していました。大学2年の時、横浜美術館で開催された「ターナー展」を見に行って惹かれました。インパクトがありましたね。ターナーは広い空間の風景を描いています。私が惹かれたのは旅行が好きだったからかもしれません。外国の風景を想像しながらターナーの作品を鑑賞しました。3年からの就職活動は、出版社、新聞社などを単純に考えていましたが、就職氷河期、ロスト・ジェネレーション世代という時代背景の中で、自分の力を注げない気がして、悶々としていました。だったら好きなことをしようと、美術館の学芸員を目指して日本大学芸術学部(日芸)の大学院へ入りました。外語の自由な雰囲気(宇大の国際学部に似ています)が好きでしたが、日芸はもっと自由。外語の自由がいかに規範的でお行儀が良かったのかと、カルチャーショックでした。私にとって大学院での経験は貴重でした。  大学院在籍中の1年間、イギリスのリーズ大学に留学しました。ターナー研究の第1人者の教授にメールでコンタクトをとった結果受け入れていただき、1対1で指導していただきました。リーズは羊毛の産地、産業革命時の中心地でした。周囲に小さな町があり、よく遊びに行きました。それらの町を通してもイギリスが分かります。学生たちにも宇大にいるうちに、栃木県内を歩くことを勧めています。留学している間にいろいろ考えました。学芸員になるより研究者のほうがいいかな?などと。大学院修了後、非常勤講師として勤務すると、「教える」ということが面白くなって方向が定まり、大学の教員となったのです。大学、大学院で出会った先生たちに助けられ、受け入れていただいたことによって今の自分がいます。先生方から受けたものを学生たちに引き渡さなければならないと強く思います。とはいえ、私自身が学生たちから刺激をもらうことの方が多いのですが。学生の皆さんも自信を持っていろいろ挑戦してほしいと思います。大学1年生の春休み。ネパールのポカラの寺院で(1997年/本人:左側)ために美術館に。出版物を見るために図書館に。主題となった風景を見るためにイギリス各地に。グーグルの画像検索は美術史の方法論を確かに変化させました。イメージの収集範囲が格段に広がり、収集にかかる時間も短くなりました。しかし、グーグルは形あるイメージのみを、それも人が作るイメージのごく一部しか提供してくれません。美術史に取り組む私たちは、グーグルが及びもつかない壮大なイメージの森を歩く旅人なのです。■「公共性」最後に。美術史を学んだ人は、私のように大学などの教育機関で働くか、美術館学芸員として働くというパターンが多く、美術館という社会に開かれた施設での仕事と直接結びつく性質上、美術史は研究成果を広く社会に還元することを自然と意識した領域だと思います。専門的な知見を、いかに多くの人たちに提供できるかを考える美術史の基本的な姿勢は、この学問が誇るべき公共性だと思っています。ターナーの作品(ロンドン、ナショナルギャラリー)19世紀の出版物(オンライン書店で比較的簡単に買えます)

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