UUnow第51号 2020.11.20●2周囲の猛反対を押し切って大手ゼネコンを退社し、20代で現在会長を務める生活総合産業「トヨタウッドユーホーム」の原点となる事業を立ち上げた中津正修さん。「自分の選択が正しかったことを実証するため死に物狂いで働いた」と振り返ります。社長就任後に念願の上場を果たし、さらに本学大学院に入学し「感性的観点に基づく企業経営」について研究を重ねました。今は栃木県の経済・産業界を牽引する経済同友会筆頭代表理事として、本県の将来にも目を向けます。波乱に富んだ半生を振り返りながら次代を担う若者への期待、大学の在り方などについて語っていただきました。 人生に決まり事なんてない自分が歩むべき道は自分で探す人生に決まり事なんてない自分が歩むべき道は自分で探すOB.OG.INTERVIEWトヨタウッドユーホーム株式会社取締役 会長NakatsuMasashi中津 正修PROFILE1975年 宇都宮産業開発(現トヨタウッドユーホーム㈱)入社。1992年 代表取締役社長。2006年 宇都宮大学大学院工学研究科博士後期課程入学。2009年 同課程修了博士(工学)。2019年 取締役相談役。同年栃木県経済同友会筆頭代表理事(現在に至る)。2020年 取締役会長■服従ではなく自由に働ける環境を求めて私はよく「人生の忘れ物」という言葉を使います。人生の流れの中でやりたくてもやれなかったことがいっぱいありますが、大学院進学はその一つでした。東京での大学時代、学問的なことで実現したかったことが大学院進学と留学です。しかしいずれもかないませんでした。2歳上の兄が歯学部に在学中で学費もかかることから、親に経済的負担をかけることはできませんでした。大学卒業後は東京の大手ゼネコンに入社しましたが、4年半ほど勤めて辞めてしまいました。その年の5月に結婚して10月に退社ですから、周囲から猛反対され、私の親には勘当されました。でも、社会に出てからは何事も自分の意思で決めようと思っていましたから、会社を辞めたことには何の悔いもありません。大学進学時、機械工学科志望でしたが、建設業を経営する父親が頑に反対したため、やむなく父と同じ建築科に進みました。ゼネコンに入社したのも自分の本意ではなくて、やはり親の勧めでした。「本当にこの会社で働きたいのか、ちょっと違うんじゃないか」、そう自問自答して退社を決意しました。結婚、退社、次の仕事。人生で初めて、本当に自分の意思で決めたことでした。宇都宮に戻り、小さな不動産屋だった宇都宮産業開発(現トヨタウッドユーホーム)に入社します。社内創業の形で私一人で建築部門を立ち上げ、それが最終的に現在の会社につながっていきます。まさに私の企業家人生のスタートです。「自分が選択したことが正しいということを実証したい。その証として会社を上場する」。当時の私の唯一のモチベーションでした。高度成長期で日本という国自体に夢みたいなものがありました。体さえ健康であれば怖い物は何もない、そういう思いがありました。今、自分の人生を振り返って思うのは、社員にも話すのですが「本来働くことが嫌いな人間はいない。ただ服従させられているような環境だったら働きたくない。
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