宇都宮大学広報誌 UUnow 第52号
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9●UUnow第52号 2021.4.20されました。多忙な時期だったので入院はせず薬での治療を続けました。幸い聴力はだいぶ回復しましたが、耳に違和感が残り、また悪化して演奏ができなくなるのではないかと悩み、苦しい日々でした。このことがきっかけで、思い残すことなく演奏活動をしたいと考え、教員の仕事は大好きでしたが勤務形態を非常勤に変える決断をしました。将来への不安がなかったわけではありませんが、まだ片耳が聴こえるからと自分を励ましつつ演奏家の道を歩みはじめました。その後たくさんの素晴らしい出会いと経験に恵まれ、諦めなくて本当に良かったと思っています。今も気圧の変化に弱く頭痛やめまいに悩まされることもありますが、うまく付き合っていきたいと思っています。■恩返しは、より良い音楽を届けること現在、フルート奏者として国内外で演奏活動をする傍ら音楽教室を主宰し、また、宇都宮短期大学音楽科、同附属高校音楽科、文星芸術大学附属中学校の非常勤講師として生徒たちを指導しています。17年から栃木県文化振興審議会宇大OGの方がオーガナイズ兼通訳をしてくださいました。音楽科の先輩がピアノ伴奏、当時音楽科在学中だった教え子も共演、客席にも宇大出身者が応援にみえました。海外の会場に宇大出身者が7名も揃ったのは印象深かったです。   大変だったのは、2人の子供の育児と仕事の両立です。夫と、双方の両親、周囲の人の協力がなければ成り立たなかったと思います。私の両親、弟も宇大卒ですが、実は卒業後に出会って結婚した夫も、夫の両親も、義理の妹も宇大卒という偶然。親族で集まると、さながら宇大の同窓会です。19年に「とちぎ未来大使」に任命された直後、栃木県と友好交流をしているフランス・ヴォークリューズ県との交流30周年記念で、同県を訪問させていただく機会がありました。私は高校生の時に同県への短期研修に派遣されたことがありましたが、その時のホームステイ先のご家族との交流がずっと続いていました。そしてまた同じご家族にお世話になり個人的にも有意義な交流30周年でした。とはいえ下の子は当時まだ3歳。一週間ほど家を空けましたが、やはり家族や周囲の協力で参加することができたと感謝しています。その後、ヴォークリューズ県の方々が栃木県を訪問された際に、式典で記念演奏を担当しましたが、音楽を通して国際交流と県のPRができたことはとても良い経験との委員を務めています。より栃木県の文化振興に尽力したいと思っています。19年には下野新聞社主催第2回「とちぎ次世代の力大賞」の奨励賞をいただき、県内での演奏活動や後進の指導、小中学校での芸術鑑賞会などを通し「音楽の地産地消」を目標に活動しています。いつもたくさんの方にお世話になっていますが、生まれ育った茂木町には、演奏活動を本格化させたいと思っていた頃からずっと応援していただきました。「もてぎふるさと応援大使」に任命されてからは、事業の一環として「美の里もてぎクラシックコンサート栗田智水と仲間たちシリーズ」がスタート、毎回素晴らしい音楽家が茂木町に来て演奏してくださっています。このように応援していただいていることへの恩返しは、より良い音楽を届けること、子どもたちを育成すること、文化の町として観光や移住につなげること、音楽を通して町をPRすることかなと思っています。■家族の協力の下、音楽を通しての出会いが人生の大きな財産18年タイでの初リサイタルでは、なりました。音楽を通していろいろな方と出会えるのが人生の大きな財産になっています。■大学と学生さんの努力の賜物すでに教え子が宇大の後輩になることも多くなってきました。その様子を見聞きすると、私の学生時代よりもずっと真面目で素晴らしい。また、SDGsなどでも宇大の評価が高く、高い就職率や日本経済新聞の「人事が見る大学イメージ」で宇大が関東甲信越トップだったというニュースを見た時に、大学と学生さんたちの努力の賜物だと誇らしく思いました。人生は選択の連続ですが、選べること、選択肢があるということはそれだけでありがたい。後輩の学生さんたちにはどんな選択も自分で選んだものは、それが自分にとって最善なのだと信じ、突き進んでほしいです。それでたとえ失敗しても、また新しい選択と努力を続ければ、いつか振り返った時、もしかしたら、それは最初に望んでいたものとは違うかもしれませんが、「きっとあの失敗があったから今がある」と思える未来が待っているはずです。峰キャンパスの4号館インフォメーションホールにてタイでの初リサイタル(タイ王室と縁の深いホールで/左端が本人)※2020年版データ※

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