宇都宮大学 研究シーズ集 2021.09
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国際政治学、東アジア国際政治史・総力戦と冷戦の比較研究・戦後東アジアにおける地域秩序の形成過程・米中ソ関係東アジア国際政治現代国際政治現代中国政治外交日本国際政治学会、アジア政経学会、グローバル・ガバナンス学会、北東アジア学会、現代中国研究会国際学部准教授松村史紀国際学科URL: Mail: f-matsu[at]cc.utsunomiya-u.ac.jpまつむらふみのり2017年5月更新研究概要今後の展望(特徴と強み等)教育・研究活動の紹介国際政治の歴史は愚行と悲劇に満ちあふれている。好戦的で権力闘争に長け、悪意をもった勢力が悲劇を引き起こすのであれば、国際政治学者でなくとも道理は説ける。ところが、正義や平和をかかげた人間が期待を裏切り、愚行と悲劇に終わることはめずらしくない。権力者の悪徳を責め、市民の善意を拡げるだけでは紛争の種はなくならない。あらゆる不公正を許さず正義を貫けば、それを快く思わない勢力と闘うことになるし、権力を築くことができれば、こんどは社会をすみずみまで厳しく管理する全体主義を招来しかねない。かけがえのない善意が大きな悲劇を生むということほど悲劇的なことはない。国際政治の歴史を学ぶことは、悲劇を引き起こした犯人をさがし、論難することではなく、悲劇のなかにおかれた個人を深く理解することにほかならない。いまを生きる人間は現代の価値観に基づき、事態の結末を知っているという圧倒的に優位な立場から過去の愚行を嗤い、厳しく裁くことに慣れている。それを「歴史の教訓」だと自負すれば、悲劇にさいなまれた人間と対話する機会は生まれないだろうし、みずから現代の特権を享受しているという自覚さえめばえない。過去の歴史をくり返してはならないという痛切な標語には、どこか独善的な自負がつきまとう。人間が切迫した状況のなか、限られた情報しか与えられず、限られた資源をもとに、既存の組織のなかで選択を迫られるという、それでいえば常識的な事実をひとつひとつ丹念につむぐようにして歴史の像を結ぶ、これが国際政治史を学ぶことであり、過去の人間と対話する、わずかな手がかりとなる。恐怖のもとにおかれた人間の本性が容易には変わらない(トゥキュディデス)のだとすれば、過去の人間と対話することは、いまと未来を生きるひとびとを深く理解するための一歩にはなるだろう。分野研究テーマキーワード所属学会等特記事項戦後東アジアを舞台に米中ソ日などの大国がどのような環境のもとで、どのような対外政策を選択してきたのかを学んでいる。残され、公開されている史料にできるだけ広く目を通すため、米中露日いずれの言語で書かれたものも読むようにしている。この四言語を相手に立ちまわっている研究者は日本に数名いるが、じつは世界のなかでもけっして多くはないと思われる。意外にも日本語の壁は厚い。教育活動では講義、語学、演習をそれぞれ担当しているが、安易な「歴史の教訓」ではなく、国際政治史のなかに現れる人間を深く理解することをめざしている。そのため映画などを手がかりに思考を広げてもらうこともよくある。たとえば、黒澤明監督の映画『七人の侍』では弱者に同情をよせる善意の指導者が一部の村人を犠牲にしてまで村落を守り抜かねばならないという厳しい決断を迫られる。この決断は、国際政治の悲劇を考える難しさを教えてくれる。また宮崎駿監督の映画『紅の豚』では主人公である人間がなぜか豚のすがたをして暮らしている。窮極の堕落したすがたを選ぶことが自由への道だという、どこまでも倒錯した状況を目の当たりにすれば、総力戦という20世紀の怪物を理解する一助になるだろう。これも学生の興味と柔軟な思考を引き出したいという苦肉の策である。歴史のなかから人間像を学ぼうとする意欲がなかなか学生にめばえない。無能な教師の不徳の致すところというほかない。教育の質向上の第一歩はやはり教員自身の勉学にあるということを痛感している。TEL:028-649-5190FAX:なし30

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