宇都宮大学 入学案内 2022
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Utsunomiya University | Guide Book 2022映像は、大学会館の部屋を借りて自分で自主上映会を企画しましたし、メキシコでの映像は、表象文化論の授業で発表しました。先生からも先輩からも、もちろん同級生からも…、すごく刺激を受ける環境でしたね。世界にどうコミットするか、悩んだ時期も実は、アフリカやインドを回った後、自分の中で、ジャーナリズムで世界にコミットしていくことへの迷いが出てきたんです。気疲れしていたのもあると思うんですけど、表現や報道ではなくて、リアルな部分での変化をおこす道もあるだろうと。ケニアでずっと撮っていたスラムの子どもたちの問題も、結局、経済が与える影響というのがものすごく大きい。当たり前なんですけど。そういうところの構造を変えていく仕事に進むのもいいんじゃないかという思考になっていって。それで渋谷のIT企業でインターンをしたり、産業社会学のゼミで学んだり。それで一旦は、金融系の会社に就職したんですが、東日本大震災を機に退職予定を前倒しにして、写真の道に進んだという経緯があります。国際学部のよさって、幅の広さではないでしょうか。授業にもいろいろな選択肢があって。産業社会学も日本の国土の成り立ちから、なぜここにこの道路が走っていて、なぜここが発展していて、なぜさいたまに副都心があるのか…。そういう話をずっとやっていて、すごくおもしろかったですね。いまの自分の取材と、そこからの考察も、いわば社会、世界の成り立ちを考えているわけで。学問として学んだことが、一見繋がっていないように見えても、その積み重ねというのは、なにかしら今の思考にもちろん影響しています。リアルなコミュニケーションがすべての基盤それから留学生の友人たちと、とことん飲んで語り合う時間をたくさんもっていたことも、今に繋がっています。2017年からは、第二次世界大戦で日本軍が連合国やアジア人の捕虜の強制労働で建設していた、タイとミャンマーを結ぶ「泰緬鉄道」について取材を始めていますが、韓国にいくときに泊めてもらっているのが、留学生だった友人の家です。卒業以来、ただSNS で繋がっているだけの関係なんですが、連絡を取るとすぐに昔のような関係に戻れて、僕の取材もすごく応援してくれています。やはり大学での人との出会いは財産。自分の殻を破ってくれる人との出会いが多いです。宇大は、観光で訪れないような地域から一流の留学生たちが来ていて多様性がすごかったし、彼らはとてもクレバーだった。歴史的な背景とか対立とか抜きにして、バイアスがかかる前に、1対1のいい関係を築いておく。それに勝る財産はないです。国際学部で学ぶと、国際問題解決のためのいろいろな言葉が出てきます。でも知識を得る前に、いろいろな国の人と対話できる土壌があって、アクティブな学生もたくさんいるから、刺激を与えあって、より外に出て行きやすくなり、それがつまりは学術的なものに還元されていくのだと思うのです。リアルなコミュニケーション抜きに、国際問題がどうだとか国際協力がどうだとか言ったって、非常に地に足がついていない発想しかできないですし、何のために、誰のためにやっているのかみたいな話で、いろいろなものを掛け間違いますよね。国際学部って、カテゴライズとしてすごくざっくりしているので、ここに入ったら、ここに就職できるというところも見えにくい。学部で学んだことと、あまり関係がない職業に就いたら、国際協力を学んできたのに自分は何もしていないみたいな気持ちになるかもしれない。でも、人と出会って学び合うことの偉大さって計り知れないと思うので。そういうことができる環境で学んで、その先になにがあるかは人それぞれなんだろうけど、少なくとも、どんな仕事に就こうが、何かの問題とか事象に対して、「自覚的」であることができるようになると思うんですよね。社会人になって、いろいろな問題に対して目が開かれた状況で、その問題に対して自覚的であるということは、とても大切なことだと思います。泣けない自分が、出発点だった中学生の時に、広島の平和祈念式典に参加しました。盛岡市内のいくつかの中学校の生徒会メンバーが集まって10名くらいで。もう記憶も薄らいでいますが、今でも強烈に覚えていることは、被爆した方の体験談を聞いても心が動かなかったということなんです。ものすごく遠いところの話をしているような印象を受けて…。泣いている女の子もいたんですけど、僕には響かなかった。それで自分は大丈夫なのだろうかと思ったことを覚えている。悲惨なことで心が動かされるべき話はたくさんあると思うのですが、心が動かされない感覚みたいなことも自分の中で自覚しておくことも大切だと思っていて。共感しようとすることや共感したふりをすることは、すごく簡単。でも、本当に共感しているかわからないまま共感した気になると、いろいろな問題をはらんでくる。共感した気にならないで、では、自分なりに共感できるラインはどこなのだろう?と、そこを探すことのほうが、むしろ大切だと思うんです。この体験は、今の取材の考え方にも繋がっています。「きっとこのポイントで人の心が動くだろう」みたいな想像ができる場合に、それがそういう悲惨な話とかを聞いても人の心が動かなかった場合に、それは何故か?という疑問から始まり、もしくは、心が本当に動く話というのは何なのだろうか?と掘り下げて、突き詰めながらインタビューをしていくことが多いです。宇都宮大学の推薦入試で写真家になることを決意2001年に9.11(アメリカ同時多発テロ)があって、高校生の時にイラク戦争が始まりました。そんな社会情勢もあったし、祖父の後を継いで獣医になった父親が、本当は国際関係の仕事に就きたかったらしく「世界を見ろ!」的な会話が家庭内でも多くて…。そんな影響もあって、部活でサッカーの練習に明け暮れながら、いつも外の世界に目が向いている、そんな高校生でした。中学生の頃も、自転車で秋田まで旅行に行ったり、わざわざ15kmぐらい先の高校を選んだり、とにかく、どこか遠くに行きたかったんですよ。なにかすごく鬱憤がたまっていたんです、高校時代から。結局、狭い田舎では周りの人は世界情勢や戦争と平和のことなんか全然考えていないし、いろいろな人に触れる機会があるわけでもないし、すごくフラストレーションがたまっていたんだと思います。宇大の国際学部を受けたのは、国際と名がつく学部はわかりやすくて可能性も感じたし…。ただ、あまりテスト勉強というものをしていなかったので、推薦で頑張ろうと。その推薦入試の課題のテーマが「戦争をなくすことは可能か?」だったんです。図書館に通い戦争関連の本を読み漁りました。その時に、イラク戦争に関する本で見た写真…、劣化ウラン弾の影響があって無脳症で生まれた赤ちゃんの写真とか、日本も加担していた戦争だったのでショックも受けたんですが、同時に知らないことを教えてくれる写真が持つ力を感じて、フォトジャーナリストという職業を意識し始めたんです。大学をベースキャンプに、世界を回る入学してすぐにカメラを買って、宇都宮のカメラ店でアルバイトも始めたんです。1年の夏休みには、メキシコのストリートチルドレンを支援するNGOを回るスタディツアーに1週間参加して、その後は3週間ほどバックパッカーでメキシコ国内を回りました。1年間休学して、アフリカやインドに行きました。知り合いのつてを辿ってケニアにホームステイして、スラム地区に入って映像を撮影したり。エイズ孤児の支援をしているNGOのプログラムでウガンダで学校を作るワークショップに参加して、それからインドに回りました。いまも宇大にあるのかな、インドのケララ州で女性の自立と子供達の支援を行う学生団体(サークル・リソースネットワーク)。僕たちの2つ上の先輩達が立ち上げた団体なんですけど、その活動の撮影もしてきました。国際学部の友人達は、休みになると、みんな世界に出て行って、戻ってきたら、どうだった?と報告しあう。ケニアで撮った

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