宇都宮大学広報誌 UUnow 第56号
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――どんな学生時代を過ごしましたか。――教育学部の授業はどうでしたか。――現在の仕事へ進むきっかけは?――今後の目標は?――宇大生へのメッセージがいいプレーをして初めてそのすべてが意味のあるものとなります。伝わらなければならないのです。お互い日本サッカーの未来のためと目的を共有できていれば、思いが伝わり、信頼関係が築けると信じています。教育学部中学校教員養成課程保健体育科で学びました。毎日、授業の後にサッカーの練習を続けていました。当時、宇大サッカー部は栃木県社会人リーグ1部に所属し、栃木SCや栃木シティFCの前身チームとも対戦しました。顧問は栃木県サッカー協会理事長を務めた石崎忠利先生(現在名誉教授)。私はキャプテンで、具体的な練習メニューや試合のメンバーは副キャプテンたちと相談し、決めていました。最終的には石崎先生が判断しますが、キャプテンとして、ときに苦慮しつつも最善と思えるメンバーを提示していました。実習などで練習にメンバーが揃わないこともあります。力があっても試合前に十分な練習ができなかった選手を先発メンバーにするか、もしくは毎日練習している選手にするか、チームメイトの士気まで考えて判断しました。チームを良くしたいという思いで意見をぶつけ合った仲間は大切。今、純粋に日本代表を強くすることを考えて仕事ができるのは宇大で学んだことが生きていると思います。石崎先生には研究室でもサッカー部でもお世話になりました。当時は出過ぎたことも言いましたが、受け止めて見守っていただいたことを今は感謝しています。仲間との助け合いが思い出です。茨城・大洗での遠泳実習は2時間も泳ぎ通す過酷な課題。体育教員を目指していても泳ぎが得意でない学生もいます。疲労困憊の中、大声で「まだいける」「まだ力を出せるよ」と励まし合い、全員で完泳しました。仲間とだからこそ、困難な状況を打破できました。よりサッカーを学びたい、理解したいという気持ちから筑波大学大学院に進学しました。受験では英語の論文を読む課題があって苦労しました。その中でも同大大学院出身の小宮秀明先生(現在名誉教授)にはいろいろな論文を提示してもらいましたし、私よりも先に試験の結果を調べていただき、一緒に喜んでいただきました。2年間修士課程でコーチ学専攻を学び、学問としてのサッカーに向き合い、得たものは大きかったですね。同時に、キャリアについても岐路に立っていました。どうにかしてサッカーを仕事にしたかったものの、プロでのプレー経験がない状況。指導者ライセンス講習会のお手伝いをさせていただいた際、思い切って、ヴェルディ川崎に所属していたインストラクターの方に直談判したところ、選手の年俸査定で統計を扱うスタッフとしてオファーされ、二つ返事で参加しました。こうした職種は今ほど認められておらず、合間にはあらゆる雑用をこなしながらも、対戦相手のレポートや映像の資料作成に一心不乱に取り組みました。その後同チームで実績を積み、コーチも経験しました。2014年からは、五輪代表チームに分析スタッフとして参加し世界を相手に戦うことができました。サッカー日本代表の分析担当として、日本サッカー協会が目標に掲げている2050年のW杯優勝に少しでも貢献したい。自分はそのために力を発揮したいと思っています。選手を支えるのが自分の役割です。チームのために、「勝たせたい」という気持ちで、限界よりさらに一歩進めると確信して一つ一つ、目標につながる仕事を積み重ねていきたいです。学生生活の中での苦しい経験は社会人になって困難を乗り越える力になります。後退しているとしか思えない場面でも見えない階段を一段ずつ上がっています。ネガティブに捉える必要はありません。ときに我慢もチャレンジも必要ですが、ひるむことなく進んでほしいと思います。■宇大サッカー部で学んだ仲間の大切さ■サッカーに関わる仕事がしたい■どんな経験も見えない階段を上がっている9●UUnow第56号 2023.4.20高円宮記念 JFA夢フィールド(写真は日本サッカー協会公式ホームページから)

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