宇都宮大学 研究シーズ集 2024.04
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フランスの哲学者であるエマニュエル・レヴィナス(1906~1995)の哲学から、「教育の倫理」、「教育実践のあり方」を問いなおすこころみを続けています。「教育」とは、「学ぶ」いとなみ、「教える」いとなみであると同時に、「ケア」のいとなみでもあります。また、子どもは一方的にケアされる対象ではなく、子ども自身が他者と世界をケアしようとしています。私は、レヴィナスの哲学を「ケアの倫理」として捉えた上で、そこから子どもを「ケアの主体」として捉えかえしたいと考えています(青柳,2024)。また、私は、例えば、「生と死の教育」の実践をささやかながら続けてきました。「死」を想うとは、ある意味で、自己の死よりも、他者の死を想うことではないでしょうか。自己が生きている意味は、他者と生きていることから生まれているのではないでしょうか。そして、この「他者と生きている」ということがそのまま「ケア」と重なります。詳しくは、是非、「レヴィナス」、「ケアの倫理」、「生と死の教育」、「青柳宏」等で検索してみてください。青柳宏(2024).ケアの倫理をもとめて(その四):M.メルロ=ポンティとE.レヴィナスの思想を比較しながら.(『宇都宮大学共同教育学部研究紀要』第74号)教育・研究活動の紹介私は、県内の小中学校でスクールカウンセラーをおよそ25年間続けてきました。こうした経験と、上に記した哲学的知見を統合して、教育実践(また広く教育のあり方)について語り合うことが出来る、ということが私の強みです。「哲学的」といっても、難しいことを語るのではなく、例えば絵本や詩や童話を素材(教材)にしながら、学生・院生一人一人の感性(感受性)を開いていくような授業をこころがけてきました。また、私は主に小中学校の現場で、国語、社会、道徳、総合学習等の時間に、「対話としての授業」を実践してきました。子ども(生徒)自身が、他者と世界をケアする主体性を育んでいく「対話としての授業」です。また、長年、附属幼稚園にお邪魔して、幼児教育に係わる研究も続けています。「幼児教育」の視点と、ケアと対話を重視する「哲学」の視点と、カウンセリングという「臨床」の視点の交点で「教育・人間形成」を捉えたいと思い、教育・研究を続けています。今後の展望これまで主に小中学校で授業をしてきましたが、高校でも、生徒自身が、他者と世界をケアする主体性を育んでいく「対話としての授業」を行ってみたいと考えています。社会貢献等スクールカウンセリングの経験をふまえ、子ども(思春期を含む)の心の問題について取材等を受けたいと思います。学校等の教育機関において、特に「対話」「表現」等の視点からの授業・研修のサポートが出来ると思います。また、「対話」「表現」等に係わる教育についての取材等を受けたいと思います。(特徴と強み等)(社会活動特許等取得状況産学連携・技術移転の対応等)教育学、教育方法学・教育(教育実践)の哲学的問いなおし・対話としての授業・幼児教育感受性,対話,表現,カウンセリング日本教育学会、日本カリキュラム学会大げさに聞こえるかもしれませんが、「自分が生きている意味とは何か」、「人の中に潜在している宗教性とは」等の視点から教育・人間形成について考えています。あおやぎひろし2024年2月更新TEL:028-649-5337分野研究テーマキーワード所属学会等特記事項URL: -Mail: aoyagi[at]cc.utsunomiya-u.ac.jp研究概要教育学研究科教授青柳宏教職大学院教育実践高度化専攻

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